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花子とアンといせさき銘仙

桐生明治館と、いせさき明治館へ行ってきました。

今回は、『花子とアン いせさき銘仙コレクション』を開催中の、いせさき明治館をご案内しますね♪



いせさき明治館は、黒羽根内科医院旧館(旧今村医院)が、建物所有者の市への寄贈の意志を受けて、伊勢崎市の重要文化財に指定されました。

県内で、最も古いとされる木造洋風医院建築です。


平成14年に、本町から曲輪町に曳き家移転されました。構造的な補強工事はされましたが、漆喰や聚楽壁の色、建具など、できるだけ当初と思われる形にもどされたそうですよ。



入ってから、ひとつ奥の部屋にいくと、このお部屋だけ板の間になっています。
擬洋風建築ですが、室内は殆ど和室になっており、和洋折衷のお部屋もあります。
階段下の梁だしの飾りですが、釣り柱で階段の踊り場を支えているそうです。
素敵ですね🎵




色鮮やかな銘仙のお着物がたくさん展示されています。

銘仙織りが始まった頃、当時、子供を含めた人口4万人のうち、約3万人が銘仙に関わっていたというのですから、驚きです。









私の祖母も、銘仙機織りをしていた時代があるようで、子供だった母は鮮明にその様子も記憶にあるといいます。


大正末期から昭和初期が銘仙全盛期。









全部80年くらい昔の、銘仙のアンティークとされるお着物です。

ここまで読まれて、銘仙て?何?と思われる方もいらっしゃいますよね(*^-^*)

シルク糸を染め上げてから、模様に合わせて、糸の色を変え織り上げていきます。
手をとめると、横筋が入るので御手洗いも我慢して織り上げていったそうですよ。 一本一本、柄に合わせて少し糸をずらして、絣模様に仕上げていきます。








80年くらい前のデザインと思えないくらい、斬新ですよね。
この水色のお着物は、当時のお育ちの良いお嬢様が袖を通されたもので、一般の方は、矢羽ね柄のたて織りのお着物がほとんどだったそうです。

しかも、華やかな柄のお着物は、地元では殆ど目にすることなく、大阪、京都、名古屋などに出荷していたそうです。

やはり、田舎では地味なお色や柄のみだったのですね。
伊勢崎の地を当時この華やかな銘仙を着た娘さん方が歩いていたのかしらと、想いを馳せましたが、残念ですね。

                    



   


室内の明かりも電球ですので(電球色かしら?)、お写真が黄色っぽく写っています。 大正時代にタイムスリップした感覚になってしまいますね(*^-^*) 



では、いよいよ『花子とアン』に登場するいせさき銘仙展示をみてみましょう!


   

ポスターで花子さんが着ている同じお着物も、ちゃんとありますよ♪


  






こちらは、色違いのお着物ですね。














花子さんと、かよさんの間で記念撮影🎵











矢羽ね柄ですね。




担当の方がとても親切に、お話してくださって、『花子とアン』のお衣裳のお話で思わずもりあがりました(*^-^*)

ドラマを拝見して、ほぼ着ているお着物は、役柄の立場にあったものを着用されているそうです。でも、ひとつだけ絶対あり得ないお衣裳が、銀座カフェのメイドさんのお着物!
あのお着物は、かなり高価なお着物で、現代では20万円くらいの価値に値するもののようです。当時もお嬢様でないと着ることができない着物のようです。




まだまだ、奥の深い銘仙ですが、また後日にしますね。
銘仙織りの最後の職人とされる方が数年前にお亡くなりになり、その技術は受け継がれることなく、銘仙織りは終わりました。 オシャレな普段着から、ちょっとしたお出かけ着の銘仙。
手がこんでいて、良いものはとても高価。 粋なお着物なので、礼服や結婚式や、きちんとした場には着用できません。
銘仙織り職人のお仕事も時代とともに、成り立たなくなってしまったのですね。

今後、新たな銘仙が生まれることは、ないのです。

お土産に銘仙ブローチと髪飾りを購入しましたが、結婚する時、祖母が作ってくれたハンテンは、実は銘仙だったと母から聞き大焦り。
もう着ないし~と断捨離で捨ててしまいました(^_^;)・・・
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